執事×お坊ちゃま





「すみませんジャーファルさん、また逃げられました」

久々に午前のみではあるが自由になる時間が取れた。せっかくなのでついこの前購入した茶葉でも使用して、ゆっくりお茶でも飲もうか…そう考えていた矢先、慌てて自室へ駆け込んできた人物が告げた言葉に溜め息を吐きたくなった。

「またですか」
「す、すみません…」
「いえ、構いません。私が探すので貴方はもしもの時のために先方に連絡の準備をお願いします」
「はいっ」

やれやれと軽く肩を竦めて自室を出る。左右どちらにも長く伸びる廊下に、さてあの子は今日はどこに隠れているのだろうとぼんやり考える。まあ立ち止まっていても進まないので、とりあえず右に行くことにした。

(困ったものですね…)

あの子は何度逃げ出せば気が済むのか。そんなにも習い事が嫌なのだろうか。それならそうとお父上に告げれば良いというのに。毎度毎度探さなければならないこちらの身にもなって欲しいものだ。








私がここ…サルージャ家に仕えてもう十年以上になる。所謂拾い子としてこの家に来、そうしてその恩を返す為に一生涯この身を捧げることを誓った。サルージャ家は三人の子息に恵まれ、私はその中の末弟であるアリババという少年付きの執事を務めている。サルージャ家の一室を与えられている私は、それこそ四六時中望まれれば彼の傍に在った。特に幼少の頃は出生に纏わる悪意ある言葉があちこちから飛び交い、小さな子どもは逃げ込むように私の部屋へ飛んで来ていた。サルージャ家当主である彼のお父上からも許しを得ていたためか、彼は私の部屋で夜を明かすことが殆どであった。…勿論それに悪い気がする筈もなく。公には彼を甘やかすことのできないお父上に、亡くなってしまわれた母君…そんな生活の中、まるで味方は私しかいないのだと言うかのように彼は私から離れなかった。小さな手で縋り、大きな瞳でこちらを見つめる子ども……まさか、可愛くない訳がない。

(それがいつからこうなったのか)

ある程度の年齢になってからは嗜みとして数多くの習い事が彼の前に並んだ。最初こそ戸惑ってはいたが、全力でそれらに当たっては多くの知識を吸収していった。それがいつ頃からか時折習い事の前に姿を消すようになってしまったのだ。とうとう反抗期かとも騒がれたが、実際には彼を見つけて促せば驚くほど素直にそれに従ってくれる。…だが問題は彼を見つけるまでの過程で。何故か面白い位に彼は隠れることに対して才能を発揮していた。誰も彼も執事からメイドまで走り回って探しても、彼は一向に見つからないのだ。広い屋敷ではあるが、ここまで見事に隠れられるとは全く恐れ入る。そうしてそんなことを繰り返す内に、幾ら数多くの人間が探し回ろうとも最後に彼を見つけるのはただの一人だけ…そんな事実が発覚した。言ってしまえばそれが私で。それからは彼が逃げ出す度に私が探しに行くハメになってしまった。特別嫌な訳ではないが、彼が逃げなければこの仕事が追加されることもなく。そうして今日も今日とて私は自身の視界に金色を見つけるのだ。地下の書庫…本棚の並ぶ部屋の隅に、彼は居た。


「アリババ様」


声を掛けると私がいると分かっていたのだろう、驚くこともなく彼は口角を上げた。

「今日は見つけるの早かったですね」
「…かもしれませんね」
「本当、なんでかなぁ…幾ら隠れてもジャーファルさんだけには見つかるんだから」

微かに湿っぽい地下は紙の匂いで溢れている。そんな空間の中、金色した少年は楽しそうに笑う。

「…間もなく歴史の先生がいらっしゃいます。戻りましょう」
「んーじゃあ、ジャーファルさんがキスしてくれたら戻っても良いですよ?」

(今日もですか…)

気付かれないよう小さく息を吐く。
彼は戻ってくれと言えば素直に従ってはくれるが、その戻る条件としてありとあらゆるものを提示してくる。前回は確か抱き締めて下さいだったか…今回はまた彼にしては随分と大きく出たものだ。

「それは命令でしょうか?」
「そう言って欲しいですか?」
「……さて、」

毎回繰り返すこのやり取り。既に駆け引きにもなっちゃいない。

「どうしますか?ジャーファルさん」

薄く笑う子どもはけれど、その耳が赤くなっていることを自覚しているのだろうか。


(自分で言っておいて恥ずかしがるなんて…全く若いですね)

可愛らしいことだ。実に。



「それではアリババ様、キスはどういったものをご所望ですか?」
「…ぇ、?」
「キスにも種類が御座いますので。浅いものから深いもの…貴方はどんなキスを私にお望みですか?」
「、ッ!」

途端に彼の表情に熱が広がった。赤く染めた顔のままぎゅっと唇を噛んでいる。

「アリババ様?どうかされましたか?」

わざとらしく笑ってやれば、泣きそうな目で睨んできた。そんな潤みきった瞳で睨まれても男は煽られるだけだというのに。これはまた教育の必要がありますね。

ややして彼の震える唇がゆっくりと開き、考えに考えたのであろう言葉が告げられた。


「…ジャーファルさんに任せます」


(成る程、決定権を全てこちらに委ねますか)

どうだとばかりに唇を引き結ぶ子どもに僅かに感心しつつも、"私"という人間を分かっていないとゆるく目を細める。

「それではアリババ様、目を閉じて頂けますか」

マナーの一つですよと零せばきゅっと両目を隠す彼。キツく閉じられた目に内心小さく笑いながら、そっとその閉じられた目…目蓋に自身の唇を落とした。その感触に驚いたのだろう、慌てたように目前でパチリと目が開いた。

「…どこにするかの指定も頂いておりませんでしたので」

どうしてと疑問を露わにする相手に優しく微笑む。

「もしかして…アリババ様は何かご希望があったんですか?」

(一体君は…何を期待していたんです?)

裏に潜ませた毒が伝わったのだろう、再び顔を赤く…それこそ火が出るんじゃないかと思う位に彼は真っ赤になった。

「っそ、んなこと…」
「そうですか。でしたら時間もあまりありませんし、そろそろ戻りましょうか」

可哀想な程に赤くなり震えている彼の肩に片手を乗せる。そうして彼が動く前にソッと耳元に唇を寄せた。

「ここにして欲しいなら、次はちゃんとそう言いなさい」

ビクッと体を跳ね上げる彼の唇に空いた手指を滑らせる。

「欲しいと望むならばその口で強請ってみなさい。貴方の言葉ならば命令でなくとも従いますよ?」

貪欲に、はしたなく、欲望のまま、

(私に…私だけに)



「さあ、参りましょうか」

呆然とする子どもの手を引いて歩き出す。





(そもそも私相手に駆け引きなんて成立しないんですよ、アリババ様)





(私はもう、とっくに貴方に負けているんですから)

















初めて出会った時の熱情は、
今も私の心の中に。


***



祁咲さん、この度はリクエストをありがとうございました!「執事ジャーファル×お坊ちゃまなアリババ」というリクエストでしたが、何だかちゃんと生かしきれていない気がして…うわああ本当にごめんなさい!こんなもので宜しければ受け取ってやって下さい。勿論苦情は四六時中受け付けております!


それではリクエストをありがとうございました!相互感謝です!!


(針山うみこ)